カネミ油症50年 終わらない苦しみ(中)「2世」救済、届かぬ声

認定基準巡り、国と溝深く

「私がいなくなっても、娘が体調と向き合いながら生きていけるよう、『油症2世』に救済の窓口を広げてほしい」

 10月中旬、長崎県諫早市。下田順子さん(57)は長女・恵さん(29)の横顔を見つめ、記者に語った。

 カネミ油症が発覚した1968年、下田さんは小学1年生だった。母が買った食用油がPCB(ポリ塩化ビフェニール)やダイオキシンに汚染されており、顔や背中に吹き出物ができた。 倦怠けんたい 感にも悩まされ、7年後に油症患者に認定された。

 25歳で結婚。夫には油症について全て話し、3年後に恵さんを授かった。皮膚が弱くて風邪をよくひき、小学校では保健室で過ごすことが多かった。

 下田さんは、自身の被害を明かせずにいた。差別や偏見、何より、娘に油症が伝わっていることを認めたくなかった。

 2005年、同県五島市で開かれた被害者団体の設立式典。自らの講演に高校1年生の恵さんを招き、つらかった体験を全て語った。「お母さん、実はね、私も同じような症状があるの」。泣きながら話を聞いていた恵さんから打ち明けられた。

 その後、下田さんは名前を公表して講演するようになった。「お母さんは被害者なのに、どうして名前を隠すの」。恵さんの言葉に背中を押された。

 胎盤や母乳を通してダイオキシンの影響を子どもが受けることは、患者認定の基準を定める全国油症治療研究班も確認しているが、「2世」に関する規定はない。恵さんは11回、県の検診を受けたが、血液中のダイオキシン濃度が基準より低いといった理由で認定されていない。

「カネミ油症の親から生まれた事実をもって、患者と認定することはできないのか」

 今年1月、福岡市博多区にある合同庁舎の一室。被害者、国、原因企業のカネミ倉庫が顔をそろえる「三者協議」で、被害者の一人が声を上げた。

 三者協議は12年に成立したカネミ油症被害者救済法に基づきスタートした。年に2回の協議で、13の被害者団体は2世の認定を繰り返し求めてきた。

 厚生労働省は「認定基準は科学的知見に基づいている」との立場。2世について「申請手続きのみで患者と認定してほしい」とする被害者側との溝は深い。6月の協議で、同省は未認定の2世、3世の健康に関する研究を提案したが、認定基準に反映されるかは未知数だ。

 かつて汚染油を販売したカネミ倉庫は、北九州市小倉北区で現在も操業し、認定患者に救済法に基づく年5万円の一時金と医療費の自己負担分を支払っている。

 農林水産省から委託を受けた政府所有米の保管料を支払いに充てているが、認定患者の高齢化などで医療費負担は年1億円を超え、経営を圧迫していると説明する。

 三者協議で、被害者側は入院中の食費、はり・きゅうなどの費用負担も同社に求めている。倦怠感や関節痛など慢性的な症状に悩まされているからだ。これに対し、加藤 大明ひろあき 社長(61)は「中小企業では資金的に限度がある」と苦しい胸の内を明かす。

 「やっと救済へ動くと思ったのに……。私たちの声は届いていない」。衆院本会議で救済法が可決されるのを見守ったカネミ油症被害者五島市の会の宿輪敏子さん(57)は憤る。カネミ油症被害者福岡地区の会の三苫哲也さん(48)は「三者協議は形骸化する一方だ。被害者団体が連携し、国を動かす訴えを展開したい」と語った。

平成30年11月6日 YOMIURI ONLINEより

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