9カ月の早産で生まれてきた赤ちゃんは全身紫色。その姿を見た母親はパニックを起こし、気を失った。赤ちゃんは母乳ものどを通らないまま、わずか2週間の人生を終えた。

それから50年。女性は78歳になり、現在、大阪市に住む。赤ちゃんの異変は、妊娠中に口にしたカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油「ライスオイル」が原因だと思う。だが女性自身は血液中のポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類の濃度が一般人と差がないとされ、患者として認定されていない。「あの油を食べてから天地がひっくり返った」。そう言わずにはいられない半生だった。

当時、大工をしていた夫(故人)と1男2女の子どもとともに、大阪で不自由ない生活を送っていた。夫の仕事は順調で、毎月のように家族で近場の温泉に行くなど、ぜいたくもできた。

さまざまな食料品は米屋が配達に来ていた。ライスオイルは、付き合いで買った商品の一つ。体に良いと言われ、天ぷらや野菜炒めなど日常的によく使った。食卓で使い始めて2、3カ月たった1968年夏の終わり、女性は体中のかゆみと赤い湿疹ができ、頻繁にめまいに襲われるようになった。

子どもたちにも皮膚症状が現れ、特に急激な不調に見舞われたのは2歳の次女だった。小児ぜんそくになり、引きつけを起こして月に数回、救急車で運ばれた。成人までは血中の蛋白(たんぱく)が減るネフローゼ症候群のため、1年の3分の2を病院で過ごし、20歳で卵巣がんを患った。

夫は体調を崩しがちになり、建築現場で指示だけ出し、家で休むことが増えた。2、3年後に腹膜炎で倒れてからは仕事ができず、多額の医療費負担も重なり、家族は生活保護に頼らざるを得なくなった。

「1日を生きるのが必死。油を食べてから何かがおかしくなった」。そんな思いを抱えたまま月日が流れた。

10年ほど前、カネミ油症について報じる新聞を見て、長年の疑念が確信に変わった。行政に相談に行ったが、まともに取り合ってもらえない。押しかけるようにして行った油症検診の会場で油症被害者関西連絡会の渡部道子さん(62)=兵庫県姫路市=と出会い、ようやく自分が「未認定患者」という立場であることがはっきりした。

長男は、大人になっても「象のようなガサガサの肌」に悩まされ、薬が手放せない。人前に出るのを嫌い、結婚も諦めた。長女は子どもに恵まれなかった。全てが油症のせいかどうかは分からない。だが悔しさばかりが募る。

「50年もたってしまったら毒素も薄くなる。当時、原因が分かっていれば、次女だけでも認定されたかもしれないのに」。巻き戻せない時計の針を無念に思う。(小尾絵生)

【認定基準】カネミ油症の患者認定には2通りの方法がある。問題発生の1968年当時、すでに認定されている患者と同居家族で、現在も身体症状が継続していれば「同居家族認定」。もう一つの「油症検診」の認定は、皮膚症状や色素沈着などの身体症状と、ダイオキシン類の血中濃度などを総合的に判断する。認定されれば、医療費や支援金などが支給される。患者団体は「基準が患者の実態に即していない。米ぬか油を摂取した事実で認定すべきだ」としている。

平成30年7月28日 神戸新聞より